思い出の初マラソン。富山マラソン2015

初マラソン。

ランナーのみなさんなら誰もが『思い出のレース』として記憶に残っているレースのひとつではないだろうか。僕も自己ベストを更新したレースと同じくらい思い出に残っているレースが初マラソンだ。

僕の初マラソンは2015年の第1回富山マラソン。その頃は全国各地でマラソン大会が開催され始め、地元富山でも開催されるということで、真っ先に県民先行枠でエントリーしたのを覚えている。

また、その当時は金沢で学生生活を送っていたのだが、その2週間後の金沢マラソンの抽選にもエントリーして見事当選。中2週間でフルマラソンを続けて走るという、川内優輝並みの大会スケジュールになることに・・・。

僕にとっての初マラソンの思い出は、ひとことで言うと「できすぎ」だった。練習を大してこなしていないにも関わらず、練習以上の結果がでてしまったが故に、後のマラソンを舐めてかかり、その後4年間はマラソンの洗礼を受けるとともに、記録が停滞する。

『初マラソンがマラソンの自己記録』というのが4年間続くのであった。

でも、そんな泥沼の4年間があったからこそ、改めて今『走ること』に向き合うことができたのではないか。なんて、都合のいいように解釈している。笑

 

今回、初マラソンを走った年の練習メモを見つけたので、あの時を思い出しながら初マラソンまでの道のりを振り返ってみる。

初マラソンまでの練習

4・5月

初マラソンの2015年は、専門学校の最終学年で4月~5月末までは病院での臨床実習があり、平日は課題に追われる日々であった。なので、土日に気分転換、ストレス発散を兼ねて30分jogや4000mのペース走(3’45~4’00/km)や30分ストロール(※ストロール:競歩版のjog。ゆっくりのペースで歩くこと)を実施する。

月間走(歩)行距離は二月合わせて約40km。この年は冬の間は特に走っておらず、4月からトレーニングを再開する。

6・7・8月

6月に雨の日に自転車から転び右足首を捻挫し、走れない足の状態であった。6~7月上旬までは、競歩の練習を中心に実施し、その後はジョグを中心にランニングを再開する。

月間走(歩)行距離はそれぞれ月間50~60kmであった。

9月

9月になると日が暮れると気温も徐々に下がり始め、走りやすい気候に。練習もしやすくなり、10kmjog~150分jogと1回に走る距離や時間が長くなってくる。

月間走行距離は100kmに到達。走った日が7日だったので、1回の走行距離の平均が約15kmくらいであった。走った日が少ないのは、この月に期末テストがあったことを言い訳としておこう。

この時に、根拠もないがどうせマラソンを走るなら「サブスリー」をしたいなと思い始める。

だが、なぜいきなりサブスリーを意識したのか。元陸上部というプライドだったのか。神からのお告げだったのか。未だに謎である。

10月

朝晩の気温が肌寒く感じるくらいになり、走るにはベストなコンディションになる。

マラソンが近づいてきて、徐々に走るモチベーションも上がってきており、走る練習は今月から一気に負荷を上げていく。さらに、走らない日はプランク中心の体幹トレーニングをするなど、一気に体を仕上げていく。体もみるみる内に引き締まり、部活をしていた時と遜色ないくらいまでに仕上がってきた。

10月の練習内容ははこんな感じ。

ほぼポイント練に近い練習しかしておらず、特に4’00/kmペースでのペース走を2日連続でするなんて今では考えられない。あの頃は若かった。笑

月間走行距離は110kmと初めて100kmを超える。

マラソン前日

いよいよ初マラソン前日。しかし、この日にどうしても避けられないイベントが。

画像の予定にもある「バイザー会議」と呼ばれるもの。(※バイザー会議とは:1学年下の学生が、翌年に病院や施設での実習が始まるのだが、その各実習地の人との顔合わせや連絡事項の共有をする会。)

これ自体は、学校で開催され夕方には終わる。しかし、問題はこの後だった。

僕は前年度の実習で県外の(北のほうの)実習地に行っており、その実習地は毎年バイザー会議の後に実習先の先生、過去にその場所に実習へいった在校生、これから実習に行く学生が集結して飲み会に行くという恒例行事があった。(マラソン前日に飲み会なんてふざけんな!)

当然、断れる立場でもないので、参加することになる。

この事実を知った数か月前、大事な大会の前日に飲み会があっては正直記録を狙うことは無理だと諦めの気持ちがあり、富山マラソンは楽しんで走ろうと思っていた。

ただ、僕も元陸上部というプライドもあり、。せっかく大会にお金を払って出場するのだし、これまで一応練習も積んできた。やはりこれまでの努力を無駄にしないためにも、最善の準備をして出たいとは思っていた。

飲み会の約3時間をなんとか生中1杯で乗り切り、(この日はお酒弱いキャラ設定)なんとか粘り、翌日の影響を最小限で食い止める。

やれるだけのことはやった。明日はお祭りだ。結果を気にせず楽しむのみ!と思ってはいたが・・・

マラソン当日

学生時代は金沢に住んでいたので、この日は金沢から高岡に電車で移動。

金沢始発の5時50分の電車に乗って高岡駅へ。睡眠時間は6時間もなかったが、テンション上がってて眠気は全く感じない。

高岡駅で降りた後は会場である古城公園まで約15分歩いて移動し、会場に到着。

会場には人・人・人!!陸上の大会で1万人も集まる空間が初めてで、テンションが上がる。そして、周りにいる人どの人も速そうに見えてビビる。

ウォーミングアップはjogと動き作り・ドリル・流しを済ませて、スタートブロックへ。

申し込み時に、図々しくもフィニッシュ予想タイムを3時間切りにしていたため、(書いたもん勝ち!!) スタート地点は一番前のAブロックに。トップランナーが集結しているだけあって、周りのランナーはみんなランパン・ランシャツで速そうにみえるが、気にしない気にしない。

なんだかんだしているうちにセレモニーが始まり、少しずつ緊張感が増していく。

期待と不安。

この感情は、部活をしていた時以来。少しずつテンションが上がっていく。

 

そしてスタートへのカウントダウンが始まる。

 

1分前

 

30秒前

 

10秒前、位置についてー

 

 

号砲とともに、ランナーが駆け出す。そしてその6秒後、僕もスタートラインを通過し、いざ出陣。

レーススタート

さあ、旅の始まりである。

初めてのマラソン大会で、スタート直後はテンションが最高潮に達している。

「冷静に、冷静に。先は長い。リズムよく、力を使わずに」

そう自分に言い聞かせ、リズムを刻んで走り出す。

1km通過 3:48

力を入れずに、楽に走っている感覚であったが、周りのペースに流されて10kmのレースのような入りをする。

そんな中、3時間のペーサーを見つけ、ピタリと後ろにつく。もう流れに身を任せようとずっとついていくことを決める。

 

1km、また1kmと軽快にラップを刻んでいく。

3:55、4:00、4:06・・・

依然、ラップは4分一桁を刻み続ける。そして10km。

10km通過 40:32(グロス)

もう無茶苦茶ハイペース。笑(おい、ペーサー仕事してねーじゃんかよ。何が3時間だ)それでも、集団は20人近くで形成されている。

10km通過し、ペースは少し落ちつきをみせ、4:10~15/kmで刻む。

この頃、給水を何度か経験し、給水前の位置取りを学習する。集団の後ろだと、給水所を通過した後にペーサーとの間隔があいてしまい無駄な労力を使っていたので、このあたりからペーサーの真後ろにへばりつくことに。

 

そして、富山マラソンコース最難関である新湊大橋を渡り切り、中間地点へ。

 

ハーフ通過 1:27:17(ちなみに、この通過記録が現在のハーフマラソンの自己ベストなのはここだけの話)

 

↑新湊大橋の上で、ぴったりとペーサーにいるHARA(富山マラソン2019のEXPO内の写真)

ハーフ通過後は、ほぼフラットのコース。(というか、田舎道が続くだけ)

ペースは、4:15~20/kmを維持しながら、25km、30kmと順調に進んでいく。

30km通過 2:0515

ここまで順調、あと12km。

と思っていたが、30kmを過ぎてハムストリングスが悲鳴を上げ始める。

ずっとペーサーの後ろにつけていた位置取りが、徐々に後退していく。足が攣る手前の力加減で、必死に3時間集団に食らいつく。

それでも、その時はやってくる。

 

33km地点、3時間の集団から完全に離脱。

集団から離れて、心も折れて急に足が動かなくなり一度立ち止まる。

そこからはペースが5:30/km前後まで一気に落ちていく。

35km通過 2:30:18(30~35kmのラップタイムは25:03)

この時点で、もう3時間切りの可能性はなくなる。

35kmからは、峠茶屋にだらだらと続く上り坂や富山大橋といった、新湊大橋まではいかないが地味に脚をいじめてくる坂に苦しめられ、さらにペースダウン。

5:30~6:00/kmの間で推移し40kmへ。

40km通過 2:58:55

当初は、この時間でフィニッシュ予定だったんだよなーと思いながら、最後の力を振り絞るはずが・・・

脚がつり、数百mに一回立ち止まりながら、なんとか気力で前へ進み、ゴール。

 

 

Finish 3:11:10(ネット)

ラップタイムは、見事に35kmの壁に跳ね返されて撃沈しているのがよくわかる。

ゴール後は、達成感や喜びといった感情より、脚攣り地獄からの解放感と無事にゴールにたどり着いたという安堵感でホッとした感情だった。

最初のテントで記録証をもらい、次のテントへ向かう途中に、突然声をかけられる。

「北日本新聞社ですが、お話聞かせてもらってもいいでしょうか」

取材だ。

ゴール後で気分がいいので、快諾する。いろいろと聞かれる。

次の日、バッチリ新聞に載ることに!

第1回だったこともあり、たくさんの人がインタビューされており、この新聞は今でも大事に保管している。笑

おわりに

 

そんなかんじで、良い思い出も悪い思い出もあった、第1回富山マラソン。

マラソンを舐めてかかってろくに練習を積まずに出場し、35kmから地獄をみることに。

富山マラソンは2015年の第1回から2019年の第5回まで5年連続で出場(2020年は中止)したが、レース内容は自己ベストを出した第5回大会とこの第1回が鮮明に覚えている。

それだけ、「初マラソン」の大会は年数が経っているにもかかわらず、レース中のことを昨日のことのように鮮明に思い出せるくらい思い入れがあったんだなと思う。

 

コロナ禍で、来年のレース予定もはっきりしない今。なかなか走るモチベーションも上がらない日々ではあるが、そんな今だからこそ『初マラソン』に挑戦していたあの頃を振り返ってみるのはどうだろう。

 

より良いランニングライフを!