HARAと陸上人生。

はじめまして。Good RUN Life筆者の『HARA』と申します。

中学生から陸上部で長距離を始め、「陸上」に関わり始めて早17年。

自己ベストは

フルマラソン:3時間9分19秒

ハーフマラソン:1時間28分00秒

月間走行距離200km未満でサブ3できないかと考えている練習嫌いのランナー。

そんな『HARA』の自己紹介ページになります。

陸上との出会い

いつから「陸上」に興味を持ったのかははっきりと覚えていないのですが、確かなのは小学生4年生くらいの時?だったような。

今は現役を引退されていますが、高橋尚子さんがマラソンで国内・世界のトップで活躍されていた時、マラソンを見るのがとても楽しくテレビでマラソン中継をやっているときにテレビで釘付けになっていました。

その時は、運動は週1回の水泳に行っているのみで、陸上や走ることとは無縁の生活でしたが、なぜかマラソンを見ることに夢中になっていました。

そして、そのころから「中学校からは陸上部に入って長距離をしよう」と思い始めていました。(確か)

ちなみに、小学生の時の卒業文集の将来の夢は『マラソン選手になる』と書いていました。今までにフルマラソン5本以上完走しているし、それは達成したことにしておきます(笑)

学生時代

中学時代

1500mと3000mの2種目を中心に出場していました。

中1では1500m、中2では3000mを中心に大会に出場し、中3では1500mと3000mの2種目を掛け持ちしていました。

中1~中3までいずれも地区予選は突破できて県大会には出場できていましたが、入賞にはほど遠い実力でした。

某5年制学校時代

中学卒業後は、某5年制の学校へ行きました。中学の部活を引退してからは、「陸上なんてやめる」と同期にも宣言していまいたが、入学後になんだかんだ陸上部に入りました。

しかし、入学後は中学の時よりスピード練習の割合が増え、練習でも中学の時より圧倒的にスピードがついていた自信があったにも関わらず、1500mでは中学の時のベストを1度も超えれず。

練習での出来と試合結果が伴わないこともあって、陸上に対するモチベーションが低下し、与えられた練習メニューをこなす日々でした。この頃から、中学生の時のように「走ることが楽しい」と思えなくなっていました。

それでも、部活をやめる勇気もなく、とりあえず続けていました。そんな日々が2年の秋の新人戦まで続いていました。

2年秋の新人戦は1500mに出場し、何とか決勝進出。しかし決勝は、入賞争いに絡むことなく終えるも一応ベストだったような記憶が。この時、所属する学校は学校対抗得点で男子総合2位になるも、自分は1点も貢献できておらず悔しさを覚える。

この悔しさが、後に大きな決断をする。

 

中距離種目から競歩への転向

秋の駅伝後最初の練習時、終わりにドリルの一環で競歩の動きを実施。その時、監督から「お前、きれいに動き出来ているし競歩やれよ」と。

監督は、そこまで本気で言ってなかったかもしれないが、新人戦でチームに貢献できず悔しかった自分にとってはこれしかないと思い、種目転向を決意。その次の日から後輩の競歩選手と一緒に練習に取り組むようになる。

 

その翌年5月の高校総体では北信越出場権を手に入れることができた。中距離種目ではまず北信越は行けなかったので、競技人口の少ない種目転向してよかったなと。

この年は、競歩の合宿や大会等を通じて競技面において充実した陸上生活を送れました。

 

4年・5年時になると、大学の1・2年と同じ学年になるので、出場する大会もインカレに。そして競歩種目も高校生の時の5000m・5kmから10000m・10kmと距離も長くなる。

3年の時は高校総体や冬の神戸ジュニアに合わせてほぼ競歩の練習に専念していたが、4・5年は1500mや5000mの走る種目も並行していました。

並行といっても、基本は競歩メインで、競歩のない大会では走る種目に出場していたので、走る種目に出場する1か月前くらいから走る練習をするというサイクルでした。

そして、この時にうれしいことが。

ほとんど走る練習をしていなかったが、久しぶりに出場した1500mや5000mで軽々自己ベスト更新。

競歩を通じて全身をうまく使えるランニングフォームになったのかも。

特に、一番感じたのは「力みなく走れるようになり、楽にスピードを走れるようになった」ということ。

といっても、走るほうでは競歩で戦えたレベルまではいけず、「ああ、自分は競歩の人間だったんだな」と実感。

5年生の引退試合は、初めて自力での出場を決めた某5年制学校対抗の全国大会で、1500mへの出場でした。

結果は、自己ベストを更新できたものの

この50km競歩をもって、高専での陸上生活を終えました。

この5年間で、「競歩」に出会えたことで、陸上の楽しさを再確認でき、また中長距離種目では出場できないレベルの大会にも出場でき、充実した陸上生活を送ることができました。

専門学校時代

 

某5年制学校卒業後は理学療法士の専門学校へ。

卒業後1、2年目は県体や高畠競歩、元旦競歩などに大した練習もせず趣味程度に出場していました。

3年目はたまに走る程度で、大会は10kmのロードレースに1つだけ出場していました。

4年目は春にロードレース1本出場。その後、秋に地元で初マラソンが開催されるということで6月ごろから走ったり競歩の練習をしたり、定期的に体を動かすことに。

そして秋は初マラソン、そして中2週で2回目のマラソンと4年間で一番走っていた時期でした。

ちなみにこの時の初マラソンと2回目のマラソンの記録が、当面の間自己ベスト・セカンドベスト記録になるのであった。

社会人

社会人になってから1年目は秋のフルマラソン前の2か月練習して出場する程度でした。その後はランニングクラブに入って仲間と練習するようにもなりましたが、毎年アキレス腱の故障をして自己ベストより程遠い結果が続いていました。

そして、社会人5年目についにようやく初マラソンの自己ベストを更新し、この年の秋にも更に自己ベストを更新し、まず3時間10分の壁を更新することができました。(詳細は大会MEMOを見てください!)

 

現在は、2021年にサブスリーを達成することに向けて、体づくりを中心にトレーニングをしています。

 

以上、『HARA』と陸上の関わりでした!